森永泰弘 Yasuhiro Morinaga

森永泰弘氏

2019年のS-AIR Exchange Programmeでは、中国の崑山市錦渓鎮のPoint Center for Contemporary Art (PCCA)へ、サウンドアーティストの森永泰弘氏の派遣を行いました。滞在製作についてのレポート全文と、現地で記録された映像を森永氏が記録した映像とともに、中国語・英語・日本語の訳詞を掲載します。


錦渓鎮の音楽文化

夜遅くに崑山市錦渓鎮のPOINT – Center for Contemporary Artという滞在施設に到着したぼくは、朝になるまでこの場所が一体どういうところかわからなかった。朝日が昇ってまず耳に入ってきたのはガヤガヤした騒音だった。窓越しに外を覗いてみると、観光客や地元の住民たちが路上市場で様々な食用品を売り買いしているではないか。早速着替えを済ませて外に出てみると、濃緑色の軍服らしからぬ格好をした公安の人たちから注意された露天商の方々がそそくさと荷物をまとめて店じまいをしている最中だった。この地で採れた新鮮な野菜や生きた鶏や豚が売られている光景は、これといってアジアでは珍しいことではないが、店を締めようとしている最中にお客が怒号を散らして売り手と値段交渉をしている光景は、なんともいえない中国的な印象があり強烈だった。この路面市場を散策した後、運河沿いに敷き詰められた石畳を途方もなく歩くことにした。僕自身、ここに来てみたものの作品制作をするための明確な目的を持っているわけではなかったから、ひとまず街を歩きながら、自分が抱えているいくつかの問題意識をどうプロジェクトに落とし込めるかを見出せればとおもって、今回、滞在させてもらうことになった。そのため、この錦渓鎮という場所を事前にリサーチしてきたというよりかは、この地に滞在して何を見つけられるか、それがテーマの一つであった。周囲には細い運河がいたるところで流れ、無数の運河が網状に入り組みながら錦渓鎮は構成されている。かつてマルコ・ポーロがこの地を訪れた際に「東洋のベニス」と言った言葉がすぐに納得できてしまうほど、街並みは美しく映画の舞台セットと勘違いをしてしまうほど整備されていた。圧倒的な景観に心を奪われているなか、滞在中はひたすらこの運河に沿って周辺を歩いた。何ができるか、何を見つけられるかわからない。ただ、この滞在を通じて問題意識を自分なりに掘り下げること、それだけを考えていた。

写真1: 錦渓鎮の地図。無数の運河が網状に入り組みながら錦渓鎮は構成されている。
写真2:滞在施設POINTS center for contemporary art前の路上市場。公安が注意をして、ほとんどが店を閉めてしまった。しかし数日後にはまた同じようなことが起こる。
写真3: 錦渓鎮の一部。このような運河が網状に行き渡っている。

これまで僕は東南アジアのなかでも島嶼における音楽文化の調査を行なってきた。島のなかで培われてきた土地に根付く音楽文化をフィールドレコーディングという手法を用いて記録し、異なる文化が音でどのように繋がりあっているかに興味をもって活動してきた。そのなかで浮かび上がった点に、海を隔てて島々が独自の音楽文化を保有していることは、案外当たり前のことで、海で分断された島に宿る様々な音楽が異文化のなかで繋がりあうのは当然のことではないかと考えるようになった。むしろ大陸または街のなかで分断または区分された隔たりにも異なる文化というのは数多く存在しているはずで、その音楽がいかに繋がり、断絶し、あるいはつながっているようで断絶し、断絶しているようで繋がりあっているかを見つけていくことも重要な視点になると感じたからだ。このような視点で考えてみると、水場または水辺は、人間が居住を生み出すためには好都合な環境であり、錦渓鎮はまさに水と人間が共生する独自の文化を古代から培っているため、多くの音楽が物ともに伝播してきた魅力的な地域だと考えられる。そのため、まず錦渓鎮という街に一体どのような音楽文化が根付いているか、この地にはどんな音環境があるかを実際に歩いて感じ取ってみたかった。

自分が記録したいと思える音や音楽に出会うまでにはいつも時間がかかるものだ。まるで、レコード屋に行ってみたものの目的のものではないレコードに興味をもってしまうようなセレンティピティが外地でフィールドワークをするときの醍醐味であることを僕自身何度も体験していたから、なるべくインターネットやSNSなどの情報に囚われることなく現地の声を聴きながら何故その音が大事なのか、記録する必要があるのか、ということを考えてから行動するようにしている。情報に容易にアクセスできてしまう現代において、その情報を便りにして予定を立てれば、結局のところアウトプットとして出てくるものも想定内となってしまう。予想外の出来事を期待しながら街を歩き、現地で見た/聴いたサウンドやイメージを相対化させながら目的を絞っていくことこそ、フィールドワークの醍醐味なのではないだろうか?もちろんうまくいかないことも起こる。だから、僕にとってフィールドワークという行為はある種の実験なのだ。

そういうことを下地に敷き、毎日歩き続けて街並みに慣れてきた頃、滞在先の担当者であるニコルさんに蘇州の音楽文化を教えてもらった。昆曲と呼ばれる伝統歌劇がおそらく最も有名な音楽文化の一つのようである。現地の方は昆曲を中国オペラという言い方をしていたが、既成の音楽に歌をあわせていくという手法を取り入れている点では、オペラという言い方が適当かはわからない。昆曲のレパートリーは水滸伝や西遊記の抜粋がほとんどで、幕間には銅羅やシンバルなどの金属系の打楽器がダイナミックに演奏され、劇中では横笛がメロディーを奏で、女性役者がファルセットの高音で話の展開や曲調をメロディーに合わせて彩っていく。現地で昆曲を鑑賞したぼくにとって、これは既に観光化されて出来上がったものだという印象しか残らなかった。昆曲にしろ、インドネシアのワヤン・クリにしろ、ユネスコの無形文化遺産に登録された芸術文化というのは、地域の観光インフラを底上げして観光インバウンドを狙った経済戦略を底上げするためのブランディングみたいなもので、僕がどうこうすることでもないと直に感じたことでもあった。

とはいえ、こういう機関によって国際化された文化芸術が表立っていくことに対し、かならず地域のなかで根付いている「隠れた」文化というのも存在している。錦渓鎮では、宣巻と呼ばれる民衆の音楽がそれにあたる。漢民族化された音楽形式をベースに地元の住民たちが募ってアンサンブルを結成し、週末や祝日に民家や庭園などで演奏会を行うための、いわば娯楽としての民衆音楽というものが、この地には存在している。この宣巻は、もともと祭祀儀礼またはトランス儀礼のなかで奏でられていた音楽のようで、年月をかけて音楽が民間へ普及していくうちに、いつしか地元の人たちに愛される娯楽音楽となったようで、僕自身、ぜひこの祭祀儀礼で演奏されていた宣巻の音楽を記録していきたいと考え、ニコルさんに可能性を伺ってみた。しかし返答は虚しく、祭祀儀礼の宣巻は、文化革命でなくなっているはずだから、表立って記録活動することは無理だと言われてしまった。かつて中国の雲南省麗江で取材したドンパ教の若手司祭もドンパの経典のほとんどが文化革命でなくなったという話を聞いた。この地でも同じようなことが起こっていたことを改めて考えさせられた。残念ではあったが、こういう事実が存在しているということがこの短い滞在中にわかっただけでも、ぼくにとっては大きな糧であった。

この宣巻の他に、ぼくの興味を駆り立てた音楽が労働歌だ。労働歌はアジア各地に根付いており、生活と人間の深い関わりが強く感じられる点で土着の音楽文化だといえる。錦渓鎮では、労働歌は主に舟乗りの歌として地元の人たちに愛されているのだが、政府はこの文化遺産を重要視していないようでもあった。ぼくは、この舟乗りの歌をうたえる方々と会って話を色々聞かせてもらいたかったので、ニコルさんを通じて政府の広報担当者にお願いをしてどういうアプローチをとれば引退してしまった舟乗りの方を集められるか聞いてもらったが、僕らの打診を真剣に受け止めてくれなかったのか、昆曲の記録活動だったらサポートすると言われ、ぼくは「それには興味ありません」とだけ告げて自力で舟乗りの方々を探し出すことにした。そのため、POINTSの方たちと血眼になって地元の方にお願いをし、観光業が栄える前のかつての船乗りの歌を録音させてくれるか聞いてまわった。錦渓鎮は今でも船が交通手段となり人々の移動や物の運搬に使用される。現代では週末を利用して旅行に来る客を舟に乗せて網の目状となった水郷景観を楽しませる観光業が盛んで、業者に雇用された現地の方が舟乗りの唄をうたっている。彼らの歌には、錦渓鎮の景観をうたうもの、恋人や他者に対する気持ちをうたうもの、自然の音や舟を漕ぐ音などの所作を模倣したフレーズを多用する歌があり、これらは既成のメロディーに対して自由に歌詞を変えて歌えることができるため、オリジナルソングができあがる。彼らのレパートリーのなかでも揺船歌という歌は、舟乗りにとって、一番最初に覚えなければいけない歌のようである。

写真4: 揺船歌をうたう元舟乗りの朱小荣(72歳)
映像:https://youtu.be/xvLcRZFqPDo

この揺船歌に関して、かつての舟乗りだった朱小荣さんの奥さんが十数年前に周荘鎮(崑山市錦渓鎮から程近い鎮)を訪問した際、現地の女性がたまたま歌っていたのを気に入り、歌詞を聞いて紙に記録しておいた。家に帰った奥さんはその歌を朱さんにうたってみせ、彼がそれに合わせて二胡を弾いて編曲したものが現在の錦渓鎮で最も多く歌われている揺船歌の原型となっているようである。

朱さんのうたう揺船歌の歌詞

Singing the Sailor song if you are rowing;
Rowing as well as singing;
Sailor sitting in the front of the boat;
Another is at the edge of the boat;
Mr. and Mrs siting on the boat;
Sir and Miss siting next them;
All the way to Jinxi;
Return home safely

摇船要唱摇船歌
一路摇一路唱
船头上坐有握镐人
船稍上是有摆橹人
老板太太船中坐
先生美女两边坐
一路顺风到锦溪
平平安安把家回

朱さんや他の方々へのインタビューを通じて、この地に根付く音楽文化やその周縁を調査していくと自分が思っていなかったような発見がある。そういうセレンティピティが僕をフィールドへのさらなる興味へと導いてくれる。朱さんには様々な歌を、実際に舟を漕いでもらいながらうたってもらった。また、朱さんの他に現地の女性二人(王国珍さんと蒋林宝さん)の、素晴らしい歌声も記録させてもらった。その記録は以下のリンク先でアクセスすることが可能である。

これまでアジアを旅しながら様々な音楽文化に触れてきたが、中国という地は本当に奥深い音楽文化がまだ至るところに残っていることを感じた。その周縁に広がるストーリーにも注目しつつ、今後も崑山に行き来しながら錦渓鎮での労働歌―舟乗りの歌―の記録活動を続けていければとおもう。この活動を続けていきながら現地の方々と協働しながら作品を制作していくきっかけが見つかることを期待している。この地でのフィールド調査はまだ始まったばかりだからだ。


現地で記録した映像

供上是个撑青灯
左右都是山上的花
花儿里个灯
灯儿里个花
灯儿远于花有景
灯儿远
花有她
啊啊啊

卓上なる青き読書灯
左右に生けたる山の花々
花の中に灯あり
灯の中に花あり
灯の遠くに花の景色が浮かび
灯から遠く花の影に愛しきあの人

The supply is a green lamp
Left and right are the flowers on the mountain
There is a lamp in the flower
There is a flower in the lamp
And the lamp has a view far away from the flower
The lamp is far away
The flower has her, ah

毛主席啊
天上的金星永远照不够
天上的金星永远像太阳
我们千遍歌呼
万遍歌唱
祝你毛主席万寿无疆
万寿无疆
万寿无疆
祝你毛主席万寿无疆
万岁

毛主席は
空の金星の輝きなど永遠に比べるべくもない
主席という空の金星は
永遠に太陽にこそ似る
我々は千遍も叫び
万遍も歌う
毛主席の万年長寿を祝すため
万年長寿
万年長寿
万年長寿
毛主席の万年長寿を祝して
万歳

Chairman Mao
The Venus in the sky will never shine enough
And the Venus in the sky will always be like the sun
We sing and sing a thousand times
I wish you a long life of Chairman Mao
and I wish you a long life of Chairman Mao

三十六条桥
七十二座窑
还有三座朝北庙
和嘿和嘿呀
摇啊摇

三六の橋
七二の窯
北に向きたる三宇の寺院
へーいへーい
漕げよ漕げ

36 bridges
72 kilns
And three north-facing temples
Rowing and rowing

红菱歌 (Hong Ling Song: Water Caltrop picking / 红菱歌)
演唱者(singer): 蒋林宝(Jiang Linbao)

红菱要唱红菱歌 五只红菱苦出生 河底生长水面上浮 大风大浪活着新肉手弯弯采红菱 采好红菱放下去 放在嘴里甜到心里 下一次来再来采

Hongling wants to sing Hongling song/ five Hongling bitter born/ the bottom of the river grows on the surface of the water/ strong winds and waves live new/
The hand bends to pick the red Hongling/ pick the red Hongling and put it down/ put it sweet in the mouth to the heart/ and come again next time

紅菱とくれば紅菱歌さ/ 五つの紅菱苦く生え/ 川底から生え川面に浮かぶ/ 風吹き波来りゃ生まれ変わりさ/ 紅菱取らんと手を伸べて/ 摘んでは舟底そっと置く/ 口に含めばその甘さ/ 心の底まで染み渡る/ 次もまた来て紅菱摘まん

摇船歌 (Boating Song/ 舟漕ぎ歌)
演唱者(singer): 蒋林宝(Jiang Linbao)

摇船要唱摇船歌 小桥上的柳絮真呀真美好 坐在船上都轻松 划来划去真呀真开心
咿呀咿嘟喂 坐在船上看风景别有风味 别有风味 
唱一唱锦溪好 小桥上的柳絮一面子香 两边全是杨柳树 风吹得杨柳轻轻地微笑 
咿呀咿嘟喂 风吹得杨柳轻轻地微笑 轻轻微笑 

It is necessary to sing a boat-shaking song/ the catkins on the bridge are really beautiful/
it is easy to sit on the boat; it is really fun to row around/ Yi ya yi du wei/
Sit on a boat and watch the scenery/ have a different flavor/ It is good to sing Jinxi/
the catkins on the bridge are fragrant/ there are willow trees on both sides/ the wind makes the willows smile gently/ Yi ya yi du wei/ The wind makes the willow smile gently; smile gently

舟を漕ぐには舟漕ぎ歌さ/ 橋にかかった柳絮の/ なんともいえぬ美しさ/ 舟に座れば気も楽に/ 漕ぎ進みいけば心地よし/ イーヤイーヤドゥーワィ/ 舟から眺める景色格別/ 何ともいえず味がある/ 口をつく歌/ 锦溪好/ 小橋の柳絮はほんに香し/ 両側に立つ楊柳樹/ 風吹きゃ楊柳軽く微笑み/ イーヤイーヤドゥーワィ/ 風吹きゃ楊柳軽く微笑む/ ああ、微笑むよ

看见你们格外亲(Seeing you very dear/ 君たちを見て親しみ溢れ)
演唱者(singer): 王国珍(Wang Guozhen)

小河的水清悠悠 庄稼盖满了沟 解放军进山来 帮助咱们闹秋收
拉起了家常话 多少往事涌上心头 看见了解放军 想起了老八路
想亲人望亲人 多少往事涌上心头 看见了解放军 想起了老八路

The water of the river is clear and leisurely/ the crops are covered with ditches/
The people’s Liberation Army comes into the mountains to help us with the autumn harvest.
When I picked up the usual words/ how many memories of the past came to mind/
when I saw the people’s Liberation Army/ I thought of Lao Ba Lu/
How many memories come to mind when I think of my loved ones/
when I see the people’s Liberation Army/ I think of Lao Ba Lu.
(Lao Ba Lu –That’s how they call the soldier).

川の流れは清く悠々/ 作物は溝に溢るる/ 解放軍の部隊は山へ分け入り/ 農民の収穫作業に手を貸さんとす/ 言い古されたことのはなれど/ 過ぎしことども心をよぎる/ 解放軍を目にすれば/ 思い起こすは八路軍/ 親しき人を思い望めば/ 過ぎしことども心をよぎる/ 解放軍を目にすれば/ 思い起こすは八路軍

朱小荣

王国珍


看见你们格外亲:https://youtu.be/VdMVLXnhXmk
祝毛主席万寿无疆: https://youtu.be/aoBYNqqR4Kw

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