進藤冬華 Fuyuka Shindo

2019年度のS-AIR Exchange Programmeでは、マレーシアのクアラルンプール市HOM Art Tranceへ、北海道から進藤冬華氏の派遣を行いました。滞在製作中の記録を掲載します。


マレーシアの第二次大戦と自転車

第二次大戦と日本の占領について:

第二次大戦に興味を持ったきっかけは、友人のヨンチアとミンワとこの大戦の話をしたことです。ある時、彼の暮らすマレーシアでは、多くの人々が戦時中日本兵に殺されたり、傷つけられたりしたということを話してくれました。私はこうしたマレーシアでの戦争の話を全然知りませんでした。残念なことに、それまで戦争の歴史に目を向ける必然もあまり感じていませんでした。彼とのこうした話は私自身が日本人であることを改めて認識させ、そして歴史に目を向けることを促しました。多分、私が出会ってきた多くのアジアの人々、友人たちのほとんどがヨンチアと同じように日本からの戦争被害について話をできるのだろうと思います。私はこれまで、それらを知らずに、彼らの前で振る舞ってきました。こうした経験から日本の戦争や植民地の歴史に目を向けようとしています。

活動の記録:

リサーチで訪れた場所は、地図の中に写真やテキストと共に記録してあります。

1
太平洋戦争日本軍上陸地点ちかくの砂浜、タイ国境近くのクランタン州
The beach in Kelantan. Sharing a border with Thailand, this is where the Japanese first landed during their invasion of Malaya during World War II.

2
クムさんの自転車屋。修理専門で、たくさんの人が次々訪れる。(photo by Danial Bin Fuad)
Kum’s Bicycle repairing shop. Many people drop by throughout the day.

3
S-AIRのレジデンスで札幌に滞在したハスリン・ビン・イスマイル(右)と父のワハブさん(左)。
自宅に伺い戦時中の体験談を話してもらった。
Haslin Bin Ismail (R), a 2019 S-AIR exchange resident. His father Wahab (L) shared his wartime stories at his home.

4
ジョホール砲台、シンガポールの太平洋戦争ツアーにて。
Johore Battery where we stopped by during a WWII tour held in Singapore.

5
クアラルンプール日本人墓地にて太平洋戦争、犠牲者の慰霊碑。
Japanese Cemetery in Kuala Lumpur. These cenotaphs to comfort the souls of those who died in World War II

6
クアラルンプール内、戦争関連の石碑をめぐりサイクリング。
ルートマップに訪れた中華系のKwong Tong墓地、日本人墓地、英国系兵士のCheras戦争墓地の場所を記録。
A bike tour in Kuala Lumpur to visit war-related cenotaphs.
Kwong Tong Cemetery, Japanese Cemetery, and Cheras Christian Cemetery are included in the map.

7
プドゥ刑務所跡、植民地時代から戦中、戦後と長く利用されクアラルンプール史にゆかりのある場所。
現在はこのゲートのみが残り、跡地には商業施設など建設中。
The Pudu Prison has been used to commemorate the history of Kuala Lumpur since the British occupation of Malaya.
The gate remains, but the rest was demolished to built a commercial facility.

8
滞在中集めた自転車のパーツの一部。
フレーム、フォークなどパーツを入手する過程で様々な人に出会い地元の人との交流が広がった。
My bicycle parts built with found materials.
The process of obtaining these parts brought me unexpected but pleasant encounters with local people.

マレーシアで考えた戦争のこと:

第二次大戦と日本の占領は、当然ながらマレーシアの歴史の中でそれだけが独立して存在しているわけではありません。マレーシア史の大きな流れの一部として戦争の歴史は英国植民地時代から続き、その後の独立やマラヤ危機の時代に続いていきます。滞在先には、そこの歴史がありそれを尊重することは重要だと思いました。

マレーシア国内やシンガポールの戦争慰霊碑を巡ると、占領する立場や占領された立場など、それぞれの物語があり、戦争が一方的なものではないことを気づかせてくれます。訪れてみることで全ての慰霊碑はマレーシア、英国、日本など分断されていますが、戦争で亡くなった方々を慰霊するという共通の目的(※)があることがわかります。

もう一つ興味を引いたのは、戦争の物語をどう現在や未来に残すのかという話を聞いたことです。戦争や歴史の物語は、制度や機関のなかで保存されるアーカイブと思っていましたが、今回地元に伝わる幽霊話が興味を引きました。アーカイブはできる限り全てを記録し博物館や大学、文書館などの機関の中で保存し、必要な時に利用することができます。一方、地元に残る戦争の幽霊話や噂は、実際はどんなことが起こったのかはすでによくわからなくなっていて、単純化されてしまっていますが、当時の恐ろしさや残酷さが濃縮されて物語の中に残されているように感じました。確かに話を聞くと戦時中大変な経験をした人々が、見えない存在(幽霊)となり、今もその恐怖を伝えているような気がします。

自転車:

日本軍は第二次大戦中マレーシア侵攻時に移動手段に自転車を使いました。そうしたことから、戦争史跡を巡ることと並行して「自転車」を一つのキーワードとして、成るにまかせて自転車をめぐる活動をしました。そして何人かの自転車を知る人々に出会い、戦争碑をめぐるサイクリングに連れていってもらったり、自転車のパーツを手に入れることになりました。

自転車は移動手段、スポーツ、コレクションアイテム、量販されている商品など様々な側面がありますが、興味深く感じたのは社会や環境に関するメッセージが含まれていることです。こうした背景をマレーシアで出会った人たちの自転車への態度から知ることできました。

例えば、クムおじさんの自転車屋は私のお気に入りです。新しい自転車を販売するよりも修理を専門にしています。自転車は完璧に壊れてしまうまでは修理可能だし、パーツの交換もできると言っていました。また、サイクリストのジェフはクアラルンプールのサイクリング地図を制作したり、自転車を自分で組み立てることを人に教えるような、自転車の利用を促進する活動をしています。ナズリさんは自転車のコレクターでした。産業史やマレーシアの歴史と結びついた古い自転車の魅力を話してくれたり、私が自転車のパーツを探していると聞いて古いパーツを譲ってくれました。

 こうして、いくつかの手元に集まってきた自転車パーツを持って日本に帰ってきました。一つ一つに、手元にやってくるまでの話があります。札幌でもひき続き自転車のことは続けたいと思っています。

※ 以下は2020年9月に進藤の意向により追記

上記の書き方は不注意だったと感じています。マレーシアにマレーシア系中国人の方々の慰霊碑があるのは、日本が攻撃したからで全てを「慰霊する共通の目的」と一括りにすることは乱暴でした。日本にいると日本の悲劇を語られがちな第二次大戦が、マレーシアの慰霊碑を巡ることで、互いのサイドで交わることのない慰霊が行われていることを目の当たりにし、戦争が一方的なものではないことを改めて感じています。

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